■銀行の金庫には現金が殆どない

銀行の主な仕事は、預金者から預かった資金を企業等に貸して、利ざやを儲ける事です。利ざやというのは、貸出金利と預金金利の差です。ということは、預金者から預かった資金は、金庫の中にはいっているのではなく、企業等に貸し出されているわけです。

 

そうだとすると、預金者が預金を引き出しにきた時に現金が金庫に無かったら、困りますよね。と読者が心配するのはわかりますが、じつは、大数の法則というものがあるので、大丈夫なのです。

 

統計や確率の難しい話は避けておきますが、大数の法則というのは「コインを1000回投げると、表が出る回数は大体500回近くになる」、という事です。コインを2回投げても、2回とも表だったり裏だったりする確率は結構ありますが、1000回投げて900回が表だ、という事は滅多に起きないのです。

 

預金顧客が100万人いるとして、確率的に100人に1人が預けにきて、100人に1人が引き出しに来るとすると、毎日の預金残高はそれほど変化しないのです。もちろん、給料振込みがあった日は引き出しに来る客が多い、といった事はありますが、その日だけ現金を大量に用意しておけばよいので、普段の日は銀行の金庫にはほとんど現金が無いのです。

 

つまり、銀行は大数の法則を利用して商売をしている、というわけです。客から預かった預金を「客がいつ引き出しに来るかわからないから、全額金庫にしまっておく」ようでは、貸出を行うことができず、コストばかりかかって倒産してしまうからです。

 

■銀行業界全体の預金はあまり増減しない

余談に近い話ですが、銀行の場合、預金の引き出しといっても現金の引き出しはそれほど多くありません。大口の取引は、預金を引き出して送金するケースが多いのです。その場合、たとえばA行の顧客Bが預金を100億円引き出して、C行の顧客Dに100億円を振り込んだとしても、現金は動きません。

 

A行はC行にメールを送り、「顧客Dに100億円払ってくれ。100億円は、現金で払いたいが、手元にないので、数日したら払うから、貸しておいてくれ。もちろん金利は払うから」という事が出来るからです。C行としては、A行から現金が100億円届いても困りますから、A行が借りていてくれた方が有難いのです。もちろん、実際の銀行相互の取引は今少し複雑ですが。

 

この場合、重要なことは、銀行業界全体としての預金残高と現金残高は変化しない、ということです。つまり、A行が現金が足りない時にはC行が現金が余るので、銀行相互の貸し借りがお互いにとってメリットがある、という事です。銀行業界全体としての預金や現金が一気に減ってしまうと、困る銀行が出て来るわけですが、そうではないのです。

 

■銀行が恐れるのは「取り付け騒ぎ」

銀行が大数の法則を利用して商売をしているという事は、それが成り立たない場合に大変困った事が起きる、という事です。「あの銀行が倒産しそうだ」という噂が広まって、預金者が預金の引き出しに殺到する「取り付け騒ぎ」です。確率的には100人に1人しか引き出しに来ないはずなのに、預金者全員が一斉に預金を引き出しに来たら、金庫は空になり、本当に倒産してしまうでしょう。

 

問題は、噂が全くのデマであっても銀行は倒産しかねない、という所にあります。本当に倒産しそうな銀行が倒産するならまだしも、全く健全な銀行がある日突然デマによって倒産してしまっては大変です。そこで、取り付け騒ぎで倒産しないような仕掛けが多数用意されています。

 

第一は、銀行の規制です。銀行は「大儲けするかも知れないが、大損をするかも知れない業務」は禁止されています。一例としては、自己資本比率規制によって、「自己資本の12.5倍までしか貸出をしてはならない」などとされているのです。こうした規制によって、銀行は簡単には倒産しないのだ、という事を預金者に印象付ける事が出来るわけです。

 

第二は、預金保険制度です。「銀行が破産しても、庶民の預金は政府(厳密には預金保険機構)が銀行の代わりに払ってくれるから、庶民は銀行倒産の噂を聞いても預金引き出しに駆けつける必要は無い」という制度です。これは、「銀行が倒産した時に庶民が損失を被るのが可哀想だから庶民を守る」、という法律なのですが、「これによって庶民が取り付け騒ぎに駆けつけなければ銀行が倒産しないだろう」、という期待も込められているわけです。

 

第三は、「最後の貸し手」としての日銀の存在です。銀行が取り付け騒ぎに遭った時には、日銀が現金輸送車で札束を運んでくれるので、預金者たちに「金庫には十分な札束があるから落ち着いて」と言えるわけです。

 

■銀行の貸出部門は大数の法則が使いにくい

銀行が大数の法則を利用できるのは、主に預金部門であり、貸出部門はそうでもありません。むしろ、景気が悪化すると倒産が増えますし、地域金融機関にとっては災害等により借り手の返済不能が増加する可能性もあるので、後述の保険以上に大数の法則が使いにくいと言えそうです。

 

■保険も大数の法則を利用したビジネス

保険も、大数の法則を利用したビジネスです。確率的に1000軒に1軒が火事に遭うという場合、100万人の顧客がいれば、おおむね1000軒の火災が発生すると予測できるので、支払うであろう保険金と保険会社のコストと利益を計算して保険料を定める事が出来るわけです。

 

ただ、保険会社の方が銀行に比べて大数の法則の適用が難しいビジネスだと言えそうです。まずは、銀行にとっては現金の取引は小口のものが多いのですが、保険会社にとっては保険金の支払いは大口のものが多い、という事です。多数の小口取引の方が少数の大口取引よりも大数の法則が使いやすいですから。

 

それから、保険は地域密着型の営業が難しいでしょう。銀行だと、地域密着型の地銀や信金等々が、「地元の経済を知り抜いて貸出の可否を正しく判断する」ことのメリットは大きいですが、火災保険の場合、地域内で大火事が発生すると一たまりもありませんから。生命保険でも、地域密着だと疫病の蔓延などで大量の死者が発生するリスクがありますので、危険ですね。

 

■大災害のリスクは「再保険」でカバー

大災害のリスクもあります。大型台風などが続けて来ると、大数の法則では対応出来ないほどの被害額(保険金支払額)となりかねません。もっとも、そうした場合に備えて、保険会社は「再保険」に加入することが出来ます。世界で一番大きな保険会社の客になるのです。「保険料を支払いますから、大災害が発生した場合に保険金を払って下さい」という契約を結んでおくのです。

 

日本だけを考えると大型台風などが発生する確率は低いとしても、世界全体としては結構な確率でしょうから、世界最大の保険会社にとっては「大数の法則」が使える災害だ、というわけですね。

 

もっとも、世界最大の保険会社にも再保険の加入を断られる場合があります。地震保険です。関東大震災や南海トラフ大地震が来たら、世界最大の保険会社も倒産し兼ねませんから、再保険の引き受けを拒否する(加入を断る)しかない、というわけです。

 

そこで、地震保険は日本政府が再保険に応じています。大地震が発生しても、日本政府が保険金を払ってくれるから、加入者としては安心だ、というわけですね。もっとも、大数の法則が使えませんから、地震保険は一般の保険に比べて保険料は高いですし、保険金は少ないです。

 

ここからは余談です。局地的な地震の場合には保険金が少しは役に立つのでしょうが、、巨大地震の場合には猛烈なインフレになるでしょうから、保険金を受け取ってもあまり役に立たないかも知れません。それを考えると、地震保険に加入せず、ドルを買っておく、という選択肢もあるかも知れません。大地震後には復興資材の輸入が急増し、輸入のためにドルを買う人が増えてドル高になるでしょうから、ドルを持って入れば高く売れて、生活の再建に役立つかも知れません。

 

今回は、以上です。なお、本稿は厳密性よりもわかりやすさを優先していますので、細部が不正確な場合があります。事情ご賢察いただければ幸いです。

 

 

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